
こんにちは^^
モノクロームの2話目を更新です。
コメント下さった皆様、ありがとうございます♪
読んでくれている人がいると思うだけで頑張れます。
ちなみに皆様、口を揃えて
「刺激的ですね」というコメントでした(笑)
ところで今回は、
足が痺れたソンミンが「鼻に唾を塗る」という仕草が出てきます。
日本では聞いたことないけどね。
韓国のネイバーで調べてみたところ、
「テレビ等で足が痺れたとき鼻に唾を塗るシーンがあるけど、あれはどうして?」
っていう質問が結構上がっていたので
韓国では
手足がしびれ=鼻に唾を塗る
っていうのがあるらしい。
ちなみに回答としては、
意味はあんまりないんじゃなーい?
っていう意見や、
物理療法のうちのひとつです
っていう意見がありました。
では、どうぞ!
* * *
# 02
人気のある舞台だから、ロミオをやりたい人間が殺到するのはわかりきっていた。そんな連中の中には確実に”WHO”に会いたくて集まってきた記者も混ざっていると考え、団長はソンミンに、スタッフたちに混ざって候補者を選ぶように指示した。背が低くて太った団長は小さな目で志願者たちの写真を見ながら癖のようにあごを撫で、ソンミンに聞いた。
「シウォンはどうだ?」
「頭を打ったわけじゃないんだから大丈夫ですよ」
もしかしてシウォンは足をケガする前に、頭を打ったたのかもしれない。そしてその原因はソンミンかもしれない。
40坪あまりの広い練習室に集まった出演者たちが徐々に席についた。団長や演出部長等、劇団を指導する人たちが座っている長テーブルの横、スタッフたちが何列にもなって座っている椅子にソンミンは座った。ソンミンは団長から候補者たちのリストを受け取った。リストは分厚くて、今日のオーディションが長くつまらないものになるであろうことを予感させた。
「1番、チョン・ユノさん」
――。
ソンミンは欠伸をした。
もうすぐ番号は100番。我慢しようと心の中で硬く決意していたが、思った通りにはいかないものだ。顔がいいと思ったら演技力がなく、演技力があると思えばロミオをやらせるには相撲力士みたいに太り過ぎていたり、背が低かったり、岩みたいな顔だったり――。主演をやらせてくれと出てきた割には間抜けばかりだった。これがよければあれがだめで、団長もやはりこれだという人物を見つけだすことができないことに苛立ち、眉間にしわを寄せていた。
「ああ、シウォンのやつ、どうしてこんなふうに人を困らせるんだ」
団長が極度の苛立ちでほとんどはげた頭を強く掻きむしりながら独り言を言うのに対し、ソンミンは心の中で「ごめんなさい」としきりに言っていた。ふと家で寝ているシウォンのことを思い出し、携帯電話を取り出して『何してるの?』とメールを送った。
「117番、キム・ヨンウンさん」
『俺のジュリエットのことを考えてたよ。オーディションはどうだ?』
待っていたというようにすぐに返信が返ってきた。ソンミンは液晶を見てふっと笑い、さらに返信メールを打ちはじめた。
『だめ、超退屈で』
――。
メールを打っていたソンミンの指が止まった。
「その言葉通り、私はあなたを手に入れましょう。私を愛していると言ってくださるのなら、新しい洗礼を受けて、これからはロミオという名前を永久に捨てましょう」
その声が自分に言われているような気がしたソンミンは、顔を上げて男を見た。それはさっきカフェで自分を見ていたあの男だった。ソンミンは驚きに目を丸くした。その男は自分を見つめながら、ロミオのセリフを言っていたのだ。 セリフを言った男は、ソンミンを見つめながらしばらく沈黙を守っていた。まるでソンミンがジュリエットのセリフを言わなければ、次のセリフは言わないとでも言うように――。
「……どなたですか、こんな暗闇に隠れて、人の秘密を暴こうとなさるのは?」
ソンミンは仕方がないというように言った。もちろんジュリエットの演技をする時の声のトーンではなく、普段の声のトーンで。ソンミンがセリフを言うなり、男はあまりにも自然に次のセリフ続けた。
スタッフたちはみんな動揺していた。誰もソンミンが”WHO”だと言っていないのに、何人かのスタッフに挟まれたソンミンがジュリエットのセリフを言いだした上、男が演じるロミオは情熱的なシウォンとは少し違って冷たい雰囲気ではあったが、確かに魅力的だったからだ。ソンミンもすぐにジュリエット役に没頭し、男のセリフを待っていた。
「あなたが私に愛のまなざしをくれのなら、彼らの悪意など何でもありません」
「何があってもここでは見つからないようにして下さい」
「真夜中の暗闇に隠れているのだから、彼らの目には見つからないでしょう。でもあなたに愛されることができないのなら、いっそこのまま見つかってしまったほうがいい。あなたの愛もなく、退屈に生きていくより彼らの憎しみにより死んだほうがましだ」
ソンミンが次のセリフを言おうとしたとき、男は切なく暖かい眼差しをソンミンからはずし、団長を見た。
「終わりました」
「あ……ああ。あの、名前は?」
「キム・ヨンウンです」
「ああ、そう。お疲れ様。じゃあ次の――」
すると、
「他の人たちを見ても仕方がないと思いますけど」
「はい?」
「もう僕に決定してもいいと考えてらっしゃるのでは?」
「そ、それは――」
「ここでおっしゃって下さい。私を採用するのか、しないのか。時間の無駄は嫌いなので」
不敵な男の態度に、座っていた出演者たちは驚いた表情を浮かべた。しかし男の言葉は正しかった。おそらく他の誰をテストしてもヨンウンに匹敵する人材はいないだろう。声量も演劇力も外見も十分で、欠点と言えばその人を腹立たせるような言葉遣いだけだ。団長はどうしようか答えられないまま、ソンミンを見つめた。ソンミンはまだジュリエットから抜けられないらしく、男をじっと見つめていた。
「そう……それじゃあ明日の朝10時にセンターに来てください」
「わかりました」
ヨンウンはうなずくと、団長に挨拶してオーディション会場を出ていった。ヨンウンが出ていって十四、五人のスタッフたちがざわめくと、ソンミンはふと我に帰った。ソンミンはさっきシウォンに送るつもりだったメールを消して、新しくメールを打った。
『さっき代役が決まったよ』
メールを送り、さっと携帯電話をズボンのポケットにしまった。
退屈のあまり床に落ちたオーディションリストを掴み、あの男の顔を探した。
「キム・ヨンウン……キム・ヨンウン……」
ソンミンは男の名前を呟きながら席を立ちあがると、彼を追いかけて行った。
ドアの外に出て廊下を走っていこうとすると、誰かがソンミンの手首を掴んだ。走ろうとした矢先に掴まれたので、腕が抜けるかと思った。
「あぁっ!」
ソンミンは痛む肩をしきりに撫でながら、自分を掴んでいる誰かを見た。それはキム・ヨンウンだった。彼はソンミンの悲鳴を聞いてもソンミンの腕を放さなかった。ヨンウンの眼は演技していたときとは違う、物静かで冷たい眼だった。
「強く掴まないでください。痛いじゃないですか」
「俺を探して出てきたみたいだったから。俺を探す時間が無駄にならないようにと思って」
考えを見破られているような気がして、ソンミンは一歩後ずさった。ただオーディション会場から出ただけなのに、なぜ自分を探していると言い切ることができるのか。いや、その前にさっきもそうだった。ロミオ役には自分しかいないとわかりきってるたみたいに言い切り、自分が選ばれるまでの待ち時間をなくしてしまった。
「さっき、カフェで僕を――」
「さっき?」
「いや、このセンターに来る前に、ここの下の路地にあるカフェで僕のこと――」
「ああ、あれおまえだったのか?」
ヨンウンはにやりと笑った。ヨンウンが見ていたのは自分じゃなかったのかという思いに、きまりが悪くって目を反らした。男はなぜかわからないが気持ち悪かった。しかしロミオに決定してしまったので、ソンミンは彼と仲良くならんければならなかった。たった二ヶ月間だけでも。
「とにかく、僕がジュリエットです。よろしくお願いします」
「ああ、やっぱりおまえが”WHO”だったのか」
「やっぱりって?」
「言葉の調子さ。声は普段のお前でも、言葉の調子は変えられない。おまえのジュリエットは特徴があるから」
「褒めてくれてありがとう。僕が”WHO”だってことは秘密ですよ」
「わかってる。誰にも言うつもりはない。それに――褒めたわけじゃない」
「はい?」
「おまえのジュリエットは型にはまっている。そのジュリエットは、そのジュリエットでしかない」
やっぱりこの男、気分が悪い。気分が悪いどころではなく、マナーがなくて独断的で他人の気持なんて考えてようとしない。良い評価ばかり受けてきたソンミンは、初めて受ける悪い評価に大きな衝撃を受けた。批判されるのはのは怖くないと思っていたが、まさかその相手が自分の恋人ロミオだとは。この男がロミオを演じ、自分と愛の会話を囁くのかと思うと、今すぐジュリエットをやりたくないと叫び、逃げだしたい気分だった。
「今にも泣きそうな顔をして、傷つけられることに弱いんだな、ちび」
いつの間にかソンミンは泣きそうな顔をしていたらしい。ヨンウンはソンミンに言い放った。毎回公演をするたびに、死んでも幸せなジュリエットだったのに、これからはこんなふうに自分を攻撃する男と一緒にやっていかなければならないのだと思うと、本当に舌でも噛んで死んでしまいたいと思った。
「ジュリエットが男で不満なら、別の劇団をお探しになればいいじゃないですか!」
まだ流れてはいない涙をこらえながら、ソンミンは涙声でヨンウンに言い放った。最善であり、最後の攻撃だった。
「嫌いか?」
「何がです?」
「俺が嫌いかって」
「……」
ヨンウンの口元には嘲笑が浮かんでいた。ああ、嫌いだ。初対面なのにおまえみたいなやつは気分が悪くてむかついて汚くてあさましくいやつ、本当に嫌いだ! と叫びたかったが、他人の気持ちを思いやるソンミンの小心さはそれを許さなかった。
「名前は?」
「……イ・ソンミン」
「イ・ソンミンはキム・ヨンウンを嫌っても、ジュリエットはロミオを嫌うな。もうこの劇はおまえだけの劇じゃなく俺の劇でもあるんだから、間違っても俺の劇を台無しにしようと思うなよ。そのときは俺がおまえを本当に殺してしまうかもしれない」
警告が混ざった言葉を言い終えたヨンウンがソンミンに背を向けると、それまでずっとヨンウンに手を掴まれていたことにソンミンは気づいた。ヨンウンに手を掴まれていたことにさえ気づかないまま、彼に自分の気持ちを踏みにじられたことがすごく腹立たしくて、浮かんだ涙がぽたりと落ちた。
「【RそしてJ】は僕とシウォンの劇なのに……」
ヨンウンの後ろ姿が廊下から消えると、ソンミンは小さな声で呟いた。
ソンミンは袖で涙を拭い、ポケットから携帯電話を取り出した。シウォンからメールが2通着ていた。
『そうか、見つかったのか。よかった』
『どうして返信が遅いんだ? 何かあったのか?』
ソンミンは素早く通話ボタンを押し、シウォンに電話をかけた。
『ああ、ソンミン』
「シウォン……」
シウォンの声を聞くと、我慢していた涙が溢れだしそうになった。シウォンが足をケガしたことも悩み、それが自分のせいだということも悩み、新しいロミオを探すのも本当に悔しくて悩み、泣き声が顎までのぼってきたが、我慢した。シウォンには弱い姿を見せてもいいはずなのに、ソンミンは彼を心配させたくなくて、悩み事があってもいつも飲み込んでいた。悩みがあるとだけ言い、詳しくは語らなかった。
「逢いたい」
知っている。彼が今ケガをしていて動くのもつらいということを。しかし彼の胸に抱かれて、このわけのわからない状況を吐き出したかった。衰弱した自分の背中をあやしながら、おまえがこれから二ヶ月もやらなければならないのは恋愛ではなく単なる芝居なのだからと、シウォンが慰めてほしかった。単なる芝居であるということは自分でもわかっていたが、到底受け入れられない現実だった。ヨンウンがいなくなったとたんに身体がずっしりと重たくなるのを感じた。
そのまま廊下の壁にしゃがみ込み、立てた膝に額をくっつけた。大丈夫だ、大丈夫だと思いながら、シウォンが今度は右足までケガしてくるんじゃないかと心配になり、どうしてシウォンを呼んだのだろうとも思った。なぜシウォンを呼んだのか考えているうちに、「俺の劇を台無しにしようと思うなよ」というヨンウンの皮肉めいた言葉を思い出した。芝居を台無しにしようとしているのはむしろ彼のほうなのに、誰のことを見て台無しにするななんて言っているのか呆れるばかりだった。ソンミンは激しく顔をそむけながら、あの人間の言葉を振い落した。あいつを考えながらしきりに込み上げてくる腹立たしさより、シウォンを心配する気持ちのほうが大きかった。
「何だ? 挫折モードか?」
この声は……と思いながら埋めていた顔を上げると目が合ったのはキム・ヒチョル――ヘアン劇団の演出を担当している団員だった。彼はかなり無愛想だが、劇団員の名前ならどんなに端役でも全て覚えているような思いやりのあるひとだった。そのせいもあって、ソンミンとシウォンが付き合っていることを、劇団の中で唯一知っているのがヒチョルだった。彼らの微妙なロミオとジュリエットを一度見て、すぐに気づいたらしい。シウォンが来るまでのしばらくの間だけでもヒチョルに寄りかかりたい気分のソンミンだった。
「ヒョン」
「ここで何してるんだ? 床は冷たいだろ」
「ヒョン」と言ったが、ヒチョルの正確な年齢は知らなかった。多分劇団の人の中でヒチョルの年齢を知っている人はいないだろう。自分では25歳だと言っているが、そうだとしたらソンミンと同い年だ。しかしシウォンがヒチョルに対し「ヒョン」と呼んでいるのを見て、ソンミンもヒチョルを「ヒョン」と呼ぶことにした。初めは疑わしかったが、シウォンが無条件に「ヒョン」と呼べというので、ソンミンはその言葉に従った。芸術というのは独特な世界観を持った人より普通の人がむしろ変わりもの扱いを受けるものだが、ヒチョルはただピーターパンコンプレックスを持った独特な芸術家なだけだと思っていた。
ソンミンはヒチョルが伸ばした手を掴み、身体を起こした。座っていた時間が思いのほか長かったのか、足が痺れていた。指先に唾をつけて鼻先に塗ると、ヒチョルはくるくる回していたファイルでソンミンの頭をコンと叩いた。
「まったく……シウォンのせいか?」
「違いますよ。ところでヒョン、ロミオ役はもう取り消せないんですか?」
「どうして? ロミオが気に入らないのか? あいつに決定したのは、半分はおまえのせいなのに。さっきお前の表情、なかなかだったぜ」
「僕の表情ですか?」
「ああ、恋に落ちたようだった。本当にジュリエットがロミオに初めて逢った時みたいに」
「まさか! 僕のロミオは――」
「わかってるさ、おまえのロミオがチェ・シウォンだけだってことは。でも仕方がないだろ。足が折れたロミオをステージにあげることはできないんだし、それにみんなが期待しているんだ。俺たちの”WHO”が違うロミオと一緒に新しいジュリエットを演じるのを」
新しいジュリエットという言葉を聞いて、ソンミンの表情がもう一度硬くなった。キム・ヨンウンが言っていた通り、自分は今まで型にはまったジュリエットを演じてきたのかもしれない――チェ・シウォンを愛するイ・ソンミンというジュリエットだ。劇団の人々が期待しているから、余計に心が重くなった。
ソンミンは永遠にジュリエットを演じたいわけではなかった。初めての舞台なのにすごく人気が集まり、公演が始まってから半年が過ぎたというのに芸術界の言論では粘り強く”WHO”の存在にフォーカスが当たっているくらいだ。だがソンミンはいつまでもジュリエットでいることはできない。違う役を演じ、新しい人間にもなってみたかった。だから今シーズンの【RそしてJ】公演が終わったらジュリエットを辞めると、シウォンと劇団の同意を得たばかりだった。
ソンミンが【RそしてJ】のジュリエット役を演じる最後のシーズンを前にして、シウォンがケガをして新しいロミオが決まった。自分の計画とは違い過ぎた。最後をシウォンと一緒にやりたかった。しかし自分が立てた計画を変えたくもなかった。
もしかするとシウォンのジュリエットではない、新しいロミオのジュリエットで【RそしてJ】を終えたほうがいいのかもしれない――と、ソンミンは思った。気に入らないが、あの人間なら自分のジュリエットを少しでも変えてくれるかもしれない。
ソンミンがとんでもないポジティブ・シンキングでこの状況を勝ち抜き、口元にそっと微笑みを浮かべると、
「なんだよ。いきなり顔が変わるんだな。おまえも本当に理解し難いやつだ」
ヒチョルは呆れたようにソンミンを見つめた。ヒチョルは、さっきまで死にそうな顔をしていたソンミンが突然笑みを浮かべるのが理解できないというように、唇を歪めながら大きな瞳で彼を見た。だがソンミンに言わせれば、そんなふうに言うヒチョルのほうこそ地球外生命体のように理解しがたかった。指先を合わせて優しさを伝えてくれる宇宙人。ただ彼の大きな瞳がすこし恐ろしく見えるときもあるが。
「ああ!もう! そんなふうに見ないで下さいよ。怖いから」
「何が怖いって? 生まれつきの顔なんだよ」
「生まれつきかわいい顔だから、そんなふうに力を入れたらかわいい顔がすぐに怖くなってしまうんですよ」
ソンミンは、眉間をしかめたヒチョルの顔をじっと見ながら、かわいい笑顔を浮かべて見せた。怖い顔をしなければ本当にかわいい顔だった。いや、怖い顔をしてもかわいい顔だった。それはソンミンだけではなく劇団の人間全員が認めていて、劇団に所属する20名以上の男達の中で、ヒチョルとソンミンはヘアン劇団で女よりも美貌が抜きんでている男として選ばれた。
だがヒチョルは顔のせいで舞台に上がるのは死んでも嫌だと言っていた。数年前までは演劇界のルーキーとして期待され、未来の保証を受けていたのに、いつからか彼は演技ではなく演出のほうに関心を抱くようになった。自分が演出したのならば自分の演技を批評されても構わないが、誰かが演出した自分の演技を誰かに批評されるのは嫌だった。それに、引き受けた役に対して自分はそれなりに解釈して演技しているのに、自分の解釈に対してあれこれ言われるのが嫌で、いっそ自分が演劇を企画して演出するほうがいいと思ったのだ。だがまだ演技への興味も捨てきれないようで、台本は全て覚えているし、ソンミンのいい練習相手にもなってくれた。誰よりも劇団と演劇を大切にしている人間は誰かと聞かれれば、ソンミンはきっとヒチョルだと答えるだろう。
「ところであのキム・ヨンウンというやつ、前にどんな作品に出演していたんです?」
「さあね。あいつ、履歴書に学歴も住所もないのに連絡先だけぽつんと書いてあって、推薦書もないし、幽霊みたいなやつさ」
「じゃあ何を信じて選んだんですか?」
「おまえの表情を信じて」
「そんなことで?」
「明日来たらロミオをやらせて、もし来なかったら新しいロミオを探すさ。そうやって次の公演をやるしかないだろう。でも、書いてある連絡先は確からしいぜ。さっき電話をしたら繋がった」
ソンミンは密かに期待した。明日、彼が来なければいいと。しかし彼に対する若干の惜しさもあった。彼と新しいジュリエットを演じてみたいという気持ちもあったからだ。
「ソンミン……はぁ、はぁ」
息を切らしたシウォンが松葉杖をついた足を引きずりながらソンミンのほうへ歩いてくると、ヒチョルは手にしていたファイルでシウォンの頭を叩いた。運動神経がいいシウォンは、ヒチョルの不意打ちを素早く腕で塞いだ。彼の運動神経は、彼がケガをした時にまったく何をしていたのだろうか。まだ不思議なくらいだ。
「おい、おまえ。家で休みもせずに何しにきたんだ! プロ意識もないやつだな。こんなふうに歩きまわって」
「あぁ、ヒョン。殴らないで下さい。僕が呼んだんです」
「おまえら、本当にばかなことばかりして」
ソンミンはシウォンに浴びせられる攻撃を止めようとして、自分も叩かれてしまった。ヒチョルの拳は少し痛かったが、シウォンの暖かい手がソンミンの手を握りしめると、二人は見つめ合って微笑んだ。ヒチョルはふたりが見つめ合いながら笑うのを見て、呆れたようにため息を吐き出し、「早く帰って明日はソンミンだけ来い」と言いながら手を振った。
「じゃあ、ヒョン。また明日」
「ソンミン、おまえは明日会うが、シウォン、おまえは明日も顔を見せたら永遠に歩けないようにしてやるぞ」
ヒチョルは怖い顔をして言ったが、心配しているのが明らかで、ふたりは笑った。
ソンミンがシウォンの腰を掴み、支えながらセンターを出ていった。
「思ったより早かったね」
「車で来たから」
「運転して来たの? 足は大丈夫だった?」
「折れたのは左足だろ。関係ないよ」
シウォンは無傷の右足を手で叩いて見せながら、ソンミンに笑いかけた。ソンミンはそれでも心配なのか、鼻をしかめながらそっとシウォンを伺った。車が停まっているセンター裏の駐車場に向かう途中、シウォンはそっとソンミンの頬にキスした。二度目に自分に逢いたいと言ってくれたことへのお礼、そして今度はどこもケガせずに無事にソンミンのところにこれたことを祝ってのキスだった。しかし嬉しいのも束の間、シウォンの頭には新しく決まったロミオに対する質問が沸き始めた。
「新しいロミオはどう?」
「悪質だよ」
「悪質?」
「ロミオとしてはいいけど、人間的に悪質なんだよ」
「ははは」
悪質だと言いながら、かわいい顔をしかめるソンミンがかわいくて、シウォンはソンミンの髪をごしごし撫でた。少し安心した。ソンミンに優しく接してくれる人は好きだが、例の「ロミオ」がソンミンに優しく接しているところを想像するだけでも腹が立った。
「どうして決まったんだ?」
「まあ、ふさわしかったから」
「かっこいいの?」
「僕は今までシウォンよりかっこいい人に会ったことないけど」
「……確かに」
「なんだよそれ」
ソンミンの褒め言葉に対しシウォンが偉そうに言うと、ソンミンはそれでも憎めないというように笑いながらシウォンの腰をつねった。シウォンの車、白のSM5のところまでやってきてシウォンが車の鍵を開けた。ソンミンはドアを開け、シウォンを運転席に座らせてドアを閉めた。するとそのとき、シウォンの車の前に青のBMWがやってきて停まった。助手席側の窓が開くと、ヨンウンの姿が見えた。ソンミンは窓が開きながらゆっくりと現れた彼の顔を見つめた。彼はその口ににやりと笑みを浮かべており、ソンミンに対して何かしてくるのは明らかだった。
「おい、チビ! 恋人に甘えて逃げるなよ。あんまりやりすぎるとお前の背が伸びないぞ」
シウォンが恋人だということがなぜわかったのだろうか、ヨンウンは嘲笑が混ざった言い方で侮辱的な言葉を言い放つと、ソンミンが言い返す前にすっと走り去ってしまった。ぎゅっと握り締めたソンミンの両拳はわなわなと震えていた。自分の目の前で何が起きたのかわからないシウォンはシートベルトを締めてエンジンをかけようとしたが、ソンミンが車に乗ってこないので、車の窓を開けて「どうして乗らないんだ?」と聞いた。
「あぁ! マジで嫌いだ!!」
* * *
ここまで、お読みいただきありがとうございます^^
というわけでね、新しいロミオがヨンウンに決定したわけです。
ちなみにヨンウンのエントリーナンバー117番が
多分ヨンウンの誕生日1月17日から取ったんだろうね。
細かいところまで面白いですな。
では次回更新を気長にお待ち下さい(笑)
# 02
人気のある舞台だから、ロミオをやりたい人間が殺到するのはわかりきっていた。そんな連中の中には確実に”WHO”に会いたくて集まってきた記者も混ざっていると考え、団長はソンミンに、スタッフたちに混ざって候補者を選ぶように指示した。背が低くて太った団長は小さな目で志願者たちの写真を見ながら癖のようにあごを撫で、ソンミンに聞いた。
「シウォンはどうだ?」
「頭を打ったわけじゃないんだから大丈夫ですよ」
もしかしてシウォンは足をケガする前に、頭を打ったたのかもしれない。そしてその原因はソンミンかもしれない。
40坪あまりの広い練習室に集まった出演者たちが徐々に席についた。団長や演出部長等、劇団を指導する人たちが座っている長テーブルの横、スタッフたちが何列にもなって座っている椅子にソンミンは座った。ソンミンは団長から候補者たちのリストを受け取った。リストは分厚くて、今日のオーディションが長くつまらないものになるであろうことを予感させた。
「1番、チョン・ユノさん」
――。
ソンミンは欠伸をした。
もうすぐ番号は100番。我慢しようと心の中で硬く決意していたが、思った通りにはいかないものだ。顔がいいと思ったら演技力がなく、演技力があると思えばロミオをやらせるには相撲力士みたいに太り過ぎていたり、背が低かったり、岩みたいな顔だったり――。主演をやらせてくれと出てきた割には間抜けばかりだった。これがよければあれがだめで、団長もやはりこれだという人物を見つけだすことができないことに苛立ち、眉間にしわを寄せていた。
「ああ、シウォンのやつ、どうしてこんなふうに人を困らせるんだ」
団長が極度の苛立ちでほとんどはげた頭を強く掻きむしりながら独り言を言うのに対し、ソンミンは心の中で「ごめんなさい」としきりに言っていた。ふと家で寝ているシウォンのことを思い出し、携帯電話を取り出して『何してるの?』とメールを送った。
「117番、キム・ヨンウンさん」
『俺のジュリエットのことを考えてたよ。オーディションはどうだ?』
待っていたというようにすぐに返信が返ってきた。ソンミンは液晶を見てふっと笑い、さらに返信メールを打ちはじめた。
『だめ、超退屈で』
――。
メールを打っていたソンミンの指が止まった。
「その言葉通り、私はあなたを手に入れましょう。私を愛していると言ってくださるのなら、新しい洗礼を受けて、これからはロミオという名前を永久に捨てましょう」
その声が自分に言われているような気がしたソンミンは、顔を上げて男を見た。それはさっきカフェで自分を見ていたあの男だった。ソンミンは驚きに目を丸くした。その男は自分を見つめながら、ロミオのセリフを言っていたのだ。 セリフを言った男は、ソンミンを見つめながらしばらく沈黙を守っていた。まるでソンミンがジュリエットのセリフを言わなければ、次のセリフは言わないとでも言うように――。
「……どなたですか、こんな暗闇に隠れて、人の秘密を暴こうとなさるのは?」
ソンミンは仕方がないというように言った。もちろんジュリエットの演技をする時の声のトーンではなく、普段の声のトーンで。ソンミンがセリフを言うなり、男はあまりにも自然に次のセリフ続けた。
スタッフたちはみんな動揺していた。誰もソンミンが”WHO”だと言っていないのに、何人かのスタッフに挟まれたソンミンがジュリエットのセリフを言いだした上、男が演じるロミオは情熱的なシウォンとは少し違って冷たい雰囲気ではあったが、確かに魅力的だったからだ。ソンミンもすぐにジュリエット役に没頭し、男のセリフを待っていた。
「あなたが私に愛のまなざしをくれのなら、彼らの悪意など何でもありません」
「何があってもここでは見つからないようにして下さい」
「真夜中の暗闇に隠れているのだから、彼らの目には見つからないでしょう。でもあなたに愛されることができないのなら、いっそこのまま見つかってしまったほうがいい。あなたの愛もなく、退屈に生きていくより彼らの憎しみにより死んだほうがましだ」
ソンミンが次のセリフを言おうとしたとき、男は切なく暖かい眼差しをソンミンからはずし、団長を見た。
「終わりました」
「あ……ああ。あの、名前は?」
「キム・ヨンウンです」
「ああ、そう。お疲れ様。じゃあ次の――」
すると、
「他の人たちを見ても仕方がないと思いますけど」
「はい?」
「もう僕に決定してもいいと考えてらっしゃるのでは?」
「そ、それは――」
「ここでおっしゃって下さい。私を採用するのか、しないのか。時間の無駄は嫌いなので」
不敵な男の態度に、座っていた出演者たちは驚いた表情を浮かべた。しかし男の言葉は正しかった。おそらく他の誰をテストしてもヨンウンに匹敵する人材はいないだろう。声量も演劇力も外見も十分で、欠点と言えばその人を腹立たせるような言葉遣いだけだ。団長はどうしようか答えられないまま、ソンミンを見つめた。ソンミンはまだジュリエットから抜けられないらしく、男をじっと見つめていた。
「そう……それじゃあ明日の朝10時にセンターに来てください」
「わかりました」
ヨンウンはうなずくと、団長に挨拶してオーディション会場を出ていった。ヨンウンが出ていって十四、五人のスタッフたちがざわめくと、ソンミンはふと我に帰った。ソンミンはさっきシウォンに送るつもりだったメールを消して、新しくメールを打った。
『さっき代役が決まったよ』
メールを送り、さっと携帯電話をズボンのポケットにしまった。
退屈のあまり床に落ちたオーディションリストを掴み、あの男の顔を探した。
「キム・ヨンウン……キム・ヨンウン……」
ソンミンは男の名前を呟きながら席を立ちあがると、彼を追いかけて行った。
ドアの外に出て廊下を走っていこうとすると、誰かがソンミンの手首を掴んだ。走ろうとした矢先に掴まれたので、腕が抜けるかと思った。
「あぁっ!」
ソンミンは痛む肩をしきりに撫でながら、自分を掴んでいる誰かを見た。それはキム・ヨンウンだった。彼はソンミンの悲鳴を聞いてもソンミンの腕を放さなかった。ヨンウンの眼は演技していたときとは違う、物静かで冷たい眼だった。
「強く掴まないでください。痛いじゃないですか」
「俺を探して出てきたみたいだったから。俺を探す時間が無駄にならないようにと思って」
考えを見破られているような気がして、ソンミンは一歩後ずさった。ただオーディション会場から出ただけなのに、なぜ自分を探していると言い切ることができるのか。いや、その前にさっきもそうだった。ロミオ役には自分しかいないとわかりきってるたみたいに言い切り、自分が選ばれるまでの待ち時間をなくしてしまった。
「さっき、カフェで僕を――」
「さっき?」
「いや、このセンターに来る前に、ここの下の路地にあるカフェで僕のこと――」
「ああ、あれおまえだったのか?」
ヨンウンはにやりと笑った。ヨンウンが見ていたのは自分じゃなかったのかという思いに、きまりが悪くって目を反らした。男はなぜかわからないが気持ち悪かった。しかしロミオに決定してしまったので、ソンミンは彼と仲良くならんければならなかった。たった二ヶ月間だけでも。
「とにかく、僕がジュリエットです。よろしくお願いします」
「ああ、やっぱりおまえが”WHO”だったのか」
「やっぱりって?」
「言葉の調子さ。声は普段のお前でも、言葉の調子は変えられない。おまえのジュリエットは特徴があるから」
「褒めてくれてありがとう。僕が”WHO”だってことは秘密ですよ」
「わかってる。誰にも言うつもりはない。それに――褒めたわけじゃない」
「はい?」
「おまえのジュリエットは型にはまっている。そのジュリエットは、そのジュリエットでしかない」
やっぱりこの男、気分が悪い。気分が悪いどころではなく、マナーがなくて独断的で他人の気持なんて考えてようとしない。良い評価ばかり受けてきたソンミンは、初めて受ける悪い評価に大きな衝撃を受けた。批判されるのはのは怖くないと思っていたが、まさかその相手が自分の恋人ロミオだとは。この男がロミオを演じ、自分と愛の会話を囁くのかと思うと、今すぐジュリエットをやりたくないと叫び、逃げだしたい気分だった。
「今にも泣きそうな顔をして、傷つけられることに弱いんだな、ちび」
いつの間にかソンミンは泣きそうな顔をしていたらしい。ヨンウンはソンミンに言い放った。毎回公演をするたびに、死んでも幸せなジュリエットだったのに、これからはこんなふうに自分を攻撃する男と一緒にやっていかなければならないのだと思うと、本当に舌でも噛んで死んでしまいたいと思った。
「ジュリエットが男で不満なら、別の劇団をお探しになればいいじゃないですか!」
まだ流れてはいない涙をこらえながら、ソンミンは涙声でヨンウンに言い放った。最善であり、最後の攻撃だった。
「嫌いか?」
「何がです?」
「俺が嫌いかって」
「……」
ヨンウンの口元には嘲笑が浮かんでいた。ああ、嫌いだ。初対面なのにおまえみたいなやつは気分が悪くてむかついて汚くてあさましくいやつ、本当に嫌いだ! と叫びたかったが、他人の気持ちを思いやるソンミンの小心さはそれを許さなかった。
「名前は?」
「……イ・ソンミン」
「イ・ソンミンはキム・ヨンウンを嫌っても、ジュリエットはロミオを嫌うな。もうこの劇はおまえだけの劇じゃなく俺の劇でもあるんだから、間違っても俺の劇を台無しにしようと思うなよ。そのときは俺がおまえを本当に殺してしまうかもしれない」
警告が混ざった言葉を言い終えたヨンウンがソンミンに背を向けると、それまでずっとヨンウンに手を掴まれていたことにソンミンは気づいた。ヨンウンに手を掴まれていたことにさえ気づかないまま、彼に自分の気持ちを踏みにじられたことがすごく腹立たしくて、浮かんだ涙がぽたりと落ちた。
「【RそしてJ】は僕とシウォンの劇なのに……」
ヨンウンの後ろ姿が廊下から消えると、ソンミンは小さな声で呟いた。
ソンミンは袖で涙を拭い、ポケットから携帯電話を取り出した。シウォンからメールが2通着ていた。
『そうか、見つかったのか。よかった』
『どうして返信が遅いんだ? 何かあったのか?』
ソンミンは素早く通話ボタンを押し、シウォンに電話をかけた。
『ああ、ソンミン』
「シウォン……」
シウォンの声を聞くと、我慢していた涙が溢れだしそうになった。シウォンが足をケガしたことも悩み、それが自分のせいだということも悩み、新しいロミオを探すのも本当に悔しくて悩み、泣き声が顎までのぼってきたが、我慢した。シウォンには弱い姿を見せてもいいはずなのに、ソンミンは彼を心配させたくなくて、悩み事があってもいつも飲み込んでいた。悩みがあるとだけ言い、詳しくは語らなかった。
「逢いたい」
知っている。彼が今ケガをしていて動くのもつらいということを。しかし彼の胸に抱かれて、このわけのわからない状況を吐き出したかった。衰弱した自分の背中をあやしながら、おまえがこれから二ヶ月もやらなければならないのは恋愛ではなく単なる芝居なのだからと、シウォンが慰めてほしかった。単なる芝居であるということは自分でもわかっていたが、到底受け入れられない現実だった。ヨンウンがいなくなったとたんに身体がずっしりと重たくなるのを感じた。
そのまま廊下の壁にしゃがみ込み、立てた膝に額をくっつけた。大丈夫だ、大丈夫だと思いながら、シウォンが今度は右足までケガしてくるんじゃないかと心配になり、どうしてシウォンを呼んだのだろうとも思った。なぜシウォンを呼んだのか考えているうちに、「俺の劇を台無しにしようと思うなよ」というヨンウンの皮肉めいた言葉を思い出した。芝居を台無しにしようとしているのはむしろ彼のほうなのに、誰のことを見て台無しにするななんて言っているのか呆れるばかりだった。ソンミンは激しく顔をそむけながら、あの人間の言葉を振い落した。あいつを考えながらしきりに込み上げてくる腹立たしさより、シウォンを心配する気持ちのほうが大きかった。
「何だ? 挫折モードか?」
この声は……と思いながら埋めていた顔を上げると目が合ったのはキム・ヒチョル――ヘアン劇団の演出を担当している団員だった。彼はかなり無愛想だが、劇団員の名前ならどんなに端役でも全て覚えているような思いやりのあるひとだった。そのせいもあって、ソンミンとシウォンが付き合っていることを、劇団の中で唯一知っているのがヒチョルだった。彼らの微妙なロミオとジュリエットを一度見て、すぐに気づいたらしい。シウォンが来るまでのしばらくの間だけでもヒチョルに寄りかかりたい気分のソンミンだった。
「ヒョン」
「ここで何してるんだ? 床は冷たいだろ」
「ヒョン」と言ったが、ヒチョルの正確な年齢は知らなかった。多分劇団の人の中でヒチョルの年齢を知っている人はいないだろう。自分では25歳だと言っているが、そうだとしたらソンミンと同い年だ。しかしシウォンがヒチョルに対し「ヒョン」と呼んでいるのを見て、ソンミンもヒチョルを「ヒョン」と呼ぶことにした。初めは疑わしかったが、シウォンが無条件に「ヒョン」と呼べというので、ソンミンはその言葉に従った。芸術というのは独特な世界観を持った人より普通の人がむしろ変わりもの扱いを受けるものだが、ヒチョルはただピーターパンコンプレックスを持った独特な芸術家なだけだと思っていた。
ソンミンはヒチョルが伸ばした手を掴み、身体を起こした。座っていた時間が思いのほか長かったのか、足が痺れていた。指先に唾をつけて鼻先に塗ると、ヒチョルはくるくる回していたファイルでソンミンの頭をコンと叩いた。
「まったく……シウォンのせいか?」
「違いますよ。ところでヒョン、ロミオ役はもう取り消せないんですか?」
「どうして? ロミオが気に入らないのか? あいつに決定したのは、半分はおまえのせいなのに。さっきお前の表情、なかなかだったぜ」
「僕の表情ですか?」
「ああ、恋に落ちたようだった。本当にジュリエットがロミオに初めて逢った時みたいに」
「まさか! 僕のロミオは――」
「わかってるさ、おまえのロミオがチェ・シウォンだけだってことは。でも仕方がないだろ。足が折れたロミオをステージにあげることはできないんだし、それにみんなが期待しているんだ。俺たちの”WHO”が違うロミオと一緒に新しいジュリエットを演じるのを」
新しいジュリエットという言葉を聞いて、ソンミンの表情がもう一度硬くなった。キム・ヨンウンが言っていた通り、自分は今まで型にはまったジュリエットを演じてきたのかもしれない――チェ・シウォンを愛するイ・ソンミンというジュリエットだ。劇団の人々が期待しているから、余計に心が重くなった。
ソンミンは永遠にジュリエットを演じたいわけではなかった。初めての舞台なのにすごく人気が集まり、公演が始まってから半年が過ぎたというのに芸術界の言論では粘り強く”WHO”の存在にフォーカスが当たっているくらいだ。だがソンミンはいつまでもジュリエットでいることはできない。違う役を演じ、新しい人間にもなってみたかった。だから今シーズンの【RそしてJ】公演が終わったらジュリエットを辞めると、シウォンと劇団の同意を得たばかりだった。
ソンミンが【RそしてJ】のジュリエット役を演じる最後のシーズンを前にして、シウォンがケガをして新しいロミオが決まった。自分の計画とは違い過ぎた。最後をシウォンと一緒にやりたかった。しかし自分が立てた計画を変えたくもなかった。
もしかするとシウォンのジュリエットではない、新しいロミオのジュリエットで【RそしてJ】を終えたほうがいいのかもしれない――と、ソンミンは思った。気に入らないが、あの人間なら自分のジュリエットを少しでも変えてくれるかもしれない。
ソンミンがとんでもないポジティブ・シンキングでこの状況を勝ち抜き、口元にそっと微笑みを浮かべると、
「なんだよ。いきなり顔が変わるんだな。おまえも本当に理解し難いやつだ」
ヒチョルは呆れたようにソンミンを見つめた。ヒチョルは、さっきまで死にそうな顔をしていたソンミンが突然笑みを浮かべるのが理解できないというように、唇を歪めながら大きな瞳で彼を見た。だがソンミンに言わせれば、そんなふうに言うヒチョルのほうこそ地球外生命体のように理解しがたかった。指先を合わせて優しさを伝えてくれる宇宙人。ただ彼の大きな瞳がすこし恐ろしく見えるときもあるが。
「ああ!もう! そんなふうに見ないで下さいよ。怖いから」
「何が怖いって? 生まれつきの顔なんだよ」
「生まれつきかわいい顔だから、そんなふうに力を入れたらかわいい顔がすぐに怖くなってしまうんですよ」
ソンミンは、眉間をしかめたヒチョルの顔をじっと見ながら、かわいい笑顔を浮かべて見せた。怖い顔をしなければ本当にかわいい顔だった。いや、怖い顔をしてもかわいい顔だった。それはソンミンだけではなく劇団の人間全員が認めていて、劇団に所属する20名以上の男達の中で、ヒチョルとソンミンはヘアン劇団で女よりも美貌が抜きんでている男として選ばれた。
だがヒチョルは顔のせいで舞台に上がるのは死んでも嫌だと言っていた。数年前までは演劇界のルーキーとして期待され、未来の保証を受けていたのに、いつからか彼は演技ではなく演出のほうに関心を抱くようになった。自分が演出したのならば自分の演技を批評されても構わないが、誰かが演出した自分の演技を誰かに批評されるのは嫌だった。それに、引き受けた役に対して自分はそれなりに解釈して演技しているのに、自分の解釈に対してあれこれ言われるのが嫌で、いっそ自分が演劇を企画して演出するほうがいいと思ったのだ。だがまだ演技への興味も捨てきれないようで、台本は全て覚えているし、ソンミンのいい練習相手にもなってくれた。誰よりも劇団と演劇を大切にしている人間は誰かと聞かれれば、ソンミンはきっとヒチョルだと答えるだろう。
「ところであのキム・ヨンウンというやつ、前にどんな作品に出演していたんです?」
「さあね。あいつ、履歴書に学歴も住所もないのに連絡先だけぽつんと書いてあって、推薦書もないし、幽霊みたいなやつさ」
「じゃあ何を信じて選んだんですか?」
「おまえの表情を信じて」
「そんなことで?」
「明日来たらロミオをやらせて、もし来なかったら新しいロミオを探すさ。そうやって次の公演をやるしかないだろう。でも、書いてある連絡先は確からしいぜ。さっき電話をしたら繋がった」
ソンミンは密かに期待した。明日、彼が来なければいいと。しかし彼に対する若干の惜しさもあった。彼と新しいジュリエットを演じてみたいという気持ちもあったからだ。
「ソンミン……はぁ、はぁ」
息を切らしたシウォンが松葉杖をついた足を引きずりながらソンミンのほうへ歩いてくると、ヒチョルは手にしていたファイルでシウォンの頭を叩いた。運動神経がいいシウォンは、ヒチョルの不意打ちを素早く腕で塞いだ。彼の運動神経は、彼がケガをした時にまったく何をしていたのだろうか。まだ不思議なくらいだ。
「おい、おまえ。家で休みもせずに何しにきたんだ! プロ意識もないやつだな。こんなふうに歩きまわって」
「あぁ、ヒョン。殴らないで下さい。僕が呼んだんです」
「おまえら、本当にばかなことばかりして」
ソンミンはシウォンに浴びせられる攻撃を止めようとして、自分も叩かれてしまった。ヒチョルの拳は少し痛かったが、シウォンの暖かい手がソンミンの手を握りしめると、二人は見つめ合って微笑んだ。ヒチョルはふたりが見つめ合いながら笑うのを見て、呆れたようにため息を吐き出し、「早く帰って明日はソンミンだけ来い」と言いながら手を振った。
「じゃあ、ヒョン。また明日」
「ソンミン、おまえは明日会うが、シウォン、おまえは明日も顔を見せたら永遠に歩けないようにしてやるぞ」
ヒチョルは怖い顔をして言ったが、心配しているのが明らかで、ふたりは笑った。
ソンミンがシウォンの腰を掴み、支えながらセンターを出ていった。
「思ったより早かったね」
「車で来たから」
「運転して来たの? 足は大丈夫だった?」
「折れたのは左足だろ。関係ないよ」
シウォンは無傷の右足を手で叩いて見せながら、ソンミンに笑いかけた。ソンミンはそれでも心配なのか、鼻をしかめながらそっとシウォンを伺った。車が停まっているセンター裏の駐車場に向かう途中、シウォンはそっとソンミンの頬にキスした。二度目に自分に逢いたいと言ってくれたことへのお礼、そして今度はどこもケガせずに無事にソンミンのところにこれたことを祝ってのキスだった。しかし嬉しいのも束の間、シウォンの頭には新しく決まったロミオに対する質問が沸き始めた。
「新しいロミオはどう?」
「悪質だよ」
「悪質?」
「ロミオとしてはいいけど、人間的に悪質なんだよ」
「ははは」
悪質だと言いながら、かわいい顔をしかめるソンミンがかわいくて、シウォンはソンミンの髪をごしごし撫でた。少し安心した。ソンミンに優しく接してくれる人は好きだが、例の「ロミオ」がソンミンに優しく接しているところを想像するだけでも腹が立った。
「どうして決まったんだ?」
「まあ、ふさわしかったから」
「かっこいいの?」
「僕は今までシウォンよりかっこいい人に会ったことないけど」
「……確かに」
「なんだよそれ」
ソンミンの褒め言葉に対しシウォンが偉そうに言うと、ソンミンはそれでも憎めないというように笑いながらシウォンの腰をつねった。シウォンの車、白のSM5のところまでやってきてシウォンが車の鍵を開けた。ソンミンはドアを開け、シウォンを運転席に座らせてドアを閉めた。するとそのとき、シウォンの車の前に青のBMWがやってきて停まった。助手席側の窓が開くと、ヨンウンの姿が見えた。ソンミンは窓が開きながらゆっくりと現れた彼の顔を見つめた。彼はその口ににやりと笑みを浮かべており、ソンミンに対して何かしてくるのは明らかだった。
「おい、チビ! 恋人に甘えて逃げるなよ。あんまりやりすぎるとお前の背が伸びないぞ」
シウォンが恋人だということがなぜわかったのだろうか、ヨンウンは嘲笑が混ざった言い方で侮辱的な言葉を言い放つと、ソンミンが言い返す前にすっと走り去ってしまった。ぎゅっと握り締めたソンミンの両拳はわなわなと震えていた。自分の目の前で何が起きたのかわからないシウォンはシートベルトを締めてエンジンをかけようとしたが、ソンミンが車に乗ってこないので、車の窓を開けて「どうして乗らないんだ?」と聞いた。
「あぁ! マジで嫌いだ!!」
* * *
ここまで、お読みいただきありがとうございます^^
というわけでね、新しいロミオがヨンウンに決定したわけです。
ちなみにヨンウンのエントリーナンバー117番が
多分ヨンウンの誕生日1月17日から取ったんだろうね。
細かいところまで面白いですな。
では次回更新を気長にお待ち下さい(笑)








